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珍しい写真が出て来たので、久々に投稿します

父が生まれて1年くらいの写真です
おじいちゃん、おばあちゃんに見えるのは父の両親だそうです
つまり、私の祖父母
残念ながら、父が小さい頃亡くなったので、会ったことはありません
大正時代


ずーーーっと行きたかった通潤橋
今日やっと行きました

と言っても、本当の目的地は清和邑文楽館

こちらも長年行ってみたい場所の一つではあるけど
行くには行きました。

人形浄瑠璃の演目を事前に調べてみると、傾城阿波の鳴門ということで、こちらは別の文楽でも数回見ていたり、清和村の出張公演でもさわりだけでも垣間見ていたりということで、今日は場所の確認とどんなムードかの下見のつもりでした。

ところが、車を走らせていると、途中に「通潤橋」の案内板を見つけ、清和邑の確認をしてナビで通潤橋を探すと

あらまあ、すぐそば。    といっても、車で十数分。。。。
13時からの放水とのことで、すぐ行けば間に合う!

すわ!急げ!

どうにか放水前に到着し、よさ気な場所を確保

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いよいよ放水!

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約30分の放水が終わり、水栓の場所を確認したのが、最後の写真です。

この通潤橋は、以前は予約があった時だけ放水してありましたが、国の重要文化財に指定を受けたことなどから、今年から農作業の都合などのほかは通年、一般公開され、だれでも見学ができる。

想像以上の水量、迫力!
しばし外界を忘れ、無我の境地に浸れたかな?

地域の事件から

2015年01月10日
今日、ある組織の新年会があり、会の締めに年頭の抱負などをそれぞれ表明する場面があった。


みな、それぞれに希望に満ちた願いや決意を述べ、いいムードで新しい活動に向かうであろうと思われた。ところが、ある1人の報告でわたしの心は一変。
未だにその発言と今後の心配が膨れ上がり、これからどう対処するべきか、あるいは対処などできることではないのか悩ましく心を占めている。

問題の発言の前に、別の仲間から、近くで先日起こった事件、17才少年が同居の祖母を包丁で刺し、死亡してしまった事件から、自分の家族との絆を見つめなおし、語り合った(実際は「伝えた」だけど)話を聞き、今の子ども達の生活や鬱屈した状況などに思いを馳せ、我が家でも家族から加害者も被害者も出さずに何とか乗り越えたことなどありがたいと思いながら、事件の家庭でも当事者の少年も亡くなったおばあさんも残されたお父さんも、本当はみんな正しく生きたいともがきながらも、望まない結末を迎えてしまったことが悔やまれてならない。子どもの事件は、心底悲しい物ばかりだと思う。


その後、数人の発言の後、件の「報告」である。
その人は、「情緒障害」の「支援員」とのことで、公立小学校の非正規職員なのだが、新学期から新たに担当する子どもがあてがわれたらしい。
本人曰く、その子どもは「不良」らしい。
教室での授業中も厳しい担任の先生の指導も聞かず、荒れているので「情緒障害」の対応で、「支援員」が支援するらしい。だが、その子は「ADHD」などのなんの診断もなく、担任が『お手上げ(筆者)』だから教室では対応できないらしい。

まず、「問題を抱えている子」を「不良」と公言する指導員にその子の心に寄り添うことができるのか。
「問題を抱えている子」を排除することで問題に対処しているとする学校の問題。

しかしわたしは当事者でもなければ、関係者でもない。
ましてや伝聞の状態では告発することもできない。

でも、この状態が真実ならばどこかで行動を起こさなければならない。

巷で噂の絵文字冷凍卵です。

先日、普通の生卵を冷凍し、ダブル目玉焼きを試食しました。
焼きやすくって、なかなかいい◯

んで、今日は常日頃から気になっていた「温泉卵」の冷凍。


何がどう気になっていたかというと、市販の「温泉卵」って、白身はとろとろで美味しいのに、黄身がいつもドロドロ。。。。わかっていても、なんだか期待して買ってしまう。そして食べるときに、やっぱり「残念」」」」」」

ということで、今回は市販の「温泉卵」をそのまま冷凍。

本日、うどんのトッピングとして食してみました。

冷凍温泉卵

冷凍温泉卵

殻をむいたところ

解凍し切るのに時間がかかりそうなので、見切り発車!

温かいうどんに投入!!

うどん

お味、食感は、、、、、、、、、、、

サイコー絵文字
黄身もまったりと、白身はとろとろ。

これから、温泉卵は冷凍してから食べることに

      決定!!!

久しぶりに

2014年11月24日
久しぶりに父の夢を見た。

多分、昨夜行ったジャズコンサートの影響だろう。
それは生前の父がジャズを好きだったとか、そんなことは全くなく、コンサート会場になったお寺が、父が亡くなった時に運ばれた病院のそばだったからかもしれない。

その病院に面する道は、何度となく車で通っていたし、見かけるたびに思い出してはいた。けれども昨夜は付近に駐車し、病院を対岸に見ながら、歩いた。
歩きながら、季節や町並みがほんの僅かな間にも移ろいでいるのが寂しくもあり、懐かしかった。

コンサートではジャズのおしゃれでゆったりしたリズムが流れていた。
父が好きだった音楽は演歌であり、千昌夫などであるが、ダンディーでおしゃれな父にはジャズのムードは似つかわしい。
優しい空気の中にいて、落ち着いたボーカルの声に浸りながら、ふと気づいた。ベースマンの風情がなんとも父に似ている。物静かに優しく、弦を爪弾く。私はもともとベースの深い音色が大好きなのだが、音とイメージの重なりがとても幸せな気分にしてくれた。

帰宅し、遅い夕食。休日前の夜だけおしゃれな気分でカクテルを作って1人味わう。
きっとそんな高揚感もあったのかもしれない。
夢の中の父は後ろ姿だったけど、優しく佇んでいた。

素敵な夜に導いてくれたのは妹夫婦がくれた1枚のチケット。

すべての出来事に「偶然」はないと信じたい気がする。

妹夫婦に 感謝。
そして、亡き父、一人暮らしで頑張っている母、母を支えてくれる姉、すくすくと育っていく子どもたち。
すべての人々に  感謝。。

ありがとう。生きている人、生きていた人たち。

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